東照神社(権現さま)の例祭・「柴燈護摩」神事
[御祭神] 東照大権現(徳川家康公)元禄2年勧請と伝う
[由緒] 元和2年(1616)家康の没後、江戸幕府は、これを駿河の久能山に葬り、社殿を造ったが、翌年天海僧正の言説により二荒山(日光)に改葬、朝廷から東照大権現の新号を授けられ、その後宮号を東照宮とした。天領(徳川直属地)である浦賀では、幕府への忠誠を表すため、特に叶神社の境内に東照宮を祀ったものと思われる。
[柴燈護摩」(さいとうごま・さいとこまん) 毎年5月17日に齊行される東照宮の例祭のことを「さいとこまん」と言い習わしているが、これは「柴燈護摩」の俗称である。「柴燈護摩」とは野外(神前)で木材を積み上げて焚き上げ、悪霊(禍霊)の退散を祈願する真言宗修験道修法の一つで、厳粛な宗教的儀式である。
明治維新前には、神仏習合といって、叶神社は別当耀真山永神寺として古儀真言宗醍醐寺派三宝院に属し、横浜の金沢から三浦半島全域において、本山格の寺格をもった修験道の寺院を兼ね、歴代の宮司は、同時に真言宗の大僧都、真言修験の大先達を兼ねていた。お寺の格式が高かったことを示すこととして、4人の料理人が常駐し本格的な会席料理も出すことができ、このことは来客数の多さだけでなく、来客の身分や階層の高さをも想像させます。
境内神社の東照権現の例祭にあたり、真言修験道の「柴燈護摩」という火祭(火渡り神事)が大先達の下で盛大に執り行われていた。大正時代ごろまでこの儀式は続けられていた。
現在では、やはり毎年5月17日に山下の拝殿にて、山頂の東照宮を遥拝し祭典が行なわれています。
山頂の東照宮
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